今回の記事は、テイストをチョットかえてみました。
結構論争になる、夏場にTシャツでバイクに乗るという行為についてです。
個人的には、「別になんとも」という感覚なんです。
強いて言えば、「日焼け止め塗ってね…」くらい。
いくらなんでも、転倒時や飛び石のリスクが存在することは承知でしょうから。それで乗っているはず。
ただ日焼けは本当に痛いので気をつけて。
自分も極稀に、半袖Tシャツで走ることはあります。
ただ、1時間以上走るのであれば、夏でも長袖シャツや薄手のジャケットは着るようにしています。
転倒時のプロテクトもそうですが、メインは日焼け防止と、走行風での疲れを軽減するためです。
つまるところ、バイクに乗る時の服装は「各々の判断で決めて構わない」と思っています。
自分の判断に対して、ちゃんとメリットとリスクを考慮し、その上でやりたいようにやる。好きにする。
いい大人なんだから、そこは自分で責任もてればOKでしょう。
この記事を書くきっかけ
なんでこんな事をわざわざ書いたかというと、
- 「半袖シャツでバイクに乗るなんてけしからん!」
- 「私のように、ライディングジャケットや革ジャンで乗るように、法律で規制すべきだ!」
という投稿が有ったからです。
しかもそれに一定数の支持が寄せられていたことに驚愕しました。
狭量な目線というか、
画一性を求める気質というか、
唯一正当性を追い求める姿というか、
いろんな言葉が浮かんできました。
かなりの【危うさ】を感じたのです。
理解と共感
もちろん、言わんとしてることは理解できるんです。
「安全性」という側面だけを取れば、プロテクター付きのライディングジャケットや、レザーウェアを装備したほうが良いに決まっています。
最近のメッシュジャケットなどは、通気性がかなり良くなっていて、走ったら夏でも涼しい事も知ってる。安全性評価だったら、絶対着用すべき。
だけど、強制するという思想は「共感」できないんです。
いやー、バイクに乗る時の服装はお上に決めてもらいたくないなぁ。。
バイクはコスプレ
自分はバイクって「自己表現手段のひとつ」と考えています。
己を表現するツール。
極論言えば、コスプレだとも思っているんですね。
仮面ライダーに憧れたり、
バイクレーサーになりたいと思ったり。
漫画やドラマ、映画、音楽の影響を受けたり、
海外カルチャーの洗礼で目覚めたり。
「かっこいい!」
「楽しそう!」
「ああいうことをやりたい!」
そう感情が動いたから、高いお金を出してバイクを買って乗っている。
そしてそこには絶対ウェア、コスチュームが存在するし、切っても切り離せないものです。
むしろ、そこに「魂」があるのではないかとすら感じます。
そういった過程を無視して、ウェアの「安全性」のみを評価ポイントとし、それ以外は評価に値しないというのは、やっぱり極端。
砕けて言えば、
すげーつまらないと感じます。
自身の行動の正当性を法規に求め、結果的に多様性を否定し、画一化された社会になる。
文章にしたら怖い。
何に怖さを感じるかというと、自由度がなくなること。
誰かに「決めてもらって」安心するという姿ですね。
自分でリスクを判断する
バイクに乗ること自体は、常に危険が伴います。
そのリスクを自分に内包して、行動を選択して、それに対するメリットと、起こった結果を受け入れる。
いわゆる「オウンリスク」の考え方。
この考え方が少しづつでもいいから、文化として浸透していって欲しいと願っています。
土台は自由。法律の範囲内であれば何をやってもいい。だけど結果は受け入れる。
だからバイクの服装は、ライディングジャケットやTシャツでも、革ジャンでもいい。楽しい格好でOK!
でも起こるリスクは、自分で受け入れる。人のせいにしない。
まぁ自分が着用する場合の「自己ルール」としては、
Tシャツは、遠出しなければぎりOK。タンクトップはなし。短パン・サンダルもNG。
ブーツがいいけれど、スニーカーも可。
遠出の時は、夏でも風でバタつかない長袖を着用。こんなところでしょうか。
2016年に入ってから、ベッキー問題に端を発した、行き過ぎにも見える一罰百戒が有りました。
願わくば、
「あれはオウンリスクの考え方が浸透する、大きな波紋だったんだなぁ」
と後で言えるようになったらいいなと思います。
以上です。
追記:
自分もバイクで事故ったことがあります。低速ですが、転倒したこともあります。
その時は膝、片口、二の腕を擦りむいたりして痛かったです。
また、あまり思い出したくないですが、大事な友達もバイクで亡くした経験もあります。
辛かったです。
その後自分が学んだ事は、プロテクターの類というパッシブな防衛策も重要ですが、それと同じくらい、走行時には心の余裕と、慎重さが大事であること。
ある意味ポジティブな防衛策の重要性です。
具体的には、
- ゆとり
- 思いやり
- 謙虚で冷静な心
- 危険の予測
- 安全を甘く見ない心構え
これらを常に持つことで、事故のリスクは大幅に下がるはずなのです。
もちろん、ゼロにはできません。
突発的な人・車・動物の飛び出しだったり、追突など回避が困難な事故もあるでしょう。
そのリスクも必然として内包し、パッシブ&ポジティブの両面から、安全で末永く、そして自分に正直に、楽しくバイクに乗る。
そんな姿を、これからも追い求めていきたいと思います。
20数年前の夏にかなりのスピードで事故りました。たまたま長袖のバイクジャケットを着用していて、軽くすんだと言うかジャケットはぼろぼろになりましたが、今は真夏でもTシャツでは乗れないです。ま、真夏にあまりバイクに乗らないですけれどね。
⇒ヨッキーさん
コメントありがとうございます。
貴重な体験談、ありがとうございます。
ライディングジャケットは、やはりいざというときの保険になりますよね。
私も真夏はほとんど乗らなくなりました。
頭がぼーっとして脱水チックになってしまって(汗
あと空冷の古いバイクには、昨今の猛烈な暑さは本当に毒です。
なので、半袖で走る機会も結果的に激減しております。
僕なんて、タンクトップと半ズボンとサンダルで乗ってますがね。怒られちゃうかな?まあ、スーパーカブ50なんで、そんなスピード出さないですけど。
プロテクターつけてかっ飛ばすよりも普通の服でゆっくり走るほうが安全なような…
とにかく
かっこいい、快適、安全性。人によって価値観は様々ですよね
交通ルールを守ってるなら人それぞれですね
コメントありがとうございます。
この記事は一部でかなり物議を醸したようで、未だに時々アクセスがあります。
■消そうかと思ったこともありますが、
書いた5年前よりも世の中が少しずつ多様性を認めるようになってきているようで、
過剰にネガティブな意見は目にしないようになりました。
「自分の考えが絶対的に正しいから、それ以外の考えは認めない!」
「お前たちは間違っている考えの持ち主だから、こちらの考えに矯正する!やれないのはおかしい!」
こういった考えを主張する人が本当にたくさんいたのですが、最近は人がだいぶ減ってきたように感じます。
■安全対策は本当に大事だけれど、それを皆がトッププライオリティに置かなければいけないというわけではない。
かっこよさや快適性など他の観点にも軸足を置くことも全然OKだし、そうしながらバランスを取っていく。
ボク個人としてはそれが良いよね。という考えを記した記事です。
■時代がこの5年でだいぶ変わって、
いい意味で他人に興味がなく、他の人がどうこうどうしようが自分の知ったことではない、
といった感覚が広まってきたような気がしています。
令和に元号が変わった頃から、旧に時代のうねりと人々の感覚の変位が大きくなり、
私の感覚に近い人が増えてきている様に感じています。
今後も安全運転とルールを守ることは大前提で、その中での自由さを感じながらバイクを楽しみたいです。
コメントくださいまして、ありがとうございました。