僕は昔からおじいちゃん子でした。
おじいちゃん・おばあちゃんにとても可愛がられ、大切に育てられてきました。
なんでいきなりこんなこと書いたかといいますと、明日から実家に帰るんですね。1泊2日です。
予定はすでに決まっていて、それもたくさんあってバタバタなのですが、その中で1つ大きなウェイトを占めているのが、
じいちゃんの子供は、うちのお母さんふくめて全員女性。で、その子供たちが産んだ7人の子ども、また女性。。
「完全な女系」でした。
そんな中、内孫として僕が生まれました。そういうこともあってか、その時のおじいさんの喜びは大変なものだったようです。おかげで愛情たっぷりに育てられ、今を生きていることができています。
幼少の時の記憶を探ると、いつもおじいちゃんやおばあちゃんがいた気がします。
くも膜下出血のリハビリとして買ったカラオケキットで、一緒に「吉幾三の雪国」うたっていた思い出。
今では違法ですが、おばあちゃんの膝の上に乗っていろんなところに行ったこと
「線路の端っこが見たい」と僕が言い出して、電車に
もちろん 両親からの愛情がたくさんさせていただいたのですが、それと同じくらい祖父母の思い出も出てくるのです。
そんなおじいちゃんも、一昨年米寿のお祝いをしました。
昭和二年生まれ。もう来年には90歳です。
戦争を体験し、軍人として鍛えられ、
僕が小学生の頃は、60から70代に差し掛かる頃だったのですが、
「この人はひょっとしたら、60歳位から年を取らないんじゃないか」
と本気で思ったことを覚えています。
しかし流石に90近くとなると、やはり衰えも見えてきますし、数年前から農業を止めた事も影響してか、筋力とかも低下しているようでした。
現実に目を背けずに考えたら、多分もうこの先数えるくらいしか会わないでしょう。悲しい気持ちはある。ですが、お互いの人生だし、
ただ、じいさんとばあさんが、
「またね」
と、少し上ずった声の調子とともに、
辛いというか、申し訳ないというか。そんなきもちが心を揺さぶってくるんです。
だから、少しでも後悔とかが残らないように、たくさんのことを喋っておきたい。
そう思って、決めて、明日は飛行機に乗ります。
以上です。
MINORUさま
人としてこうじゃないとね(^-^)
生きているかぎり誰かに支えられてるんですよね。
心暖まる記事でした(^-^)
⇒たかさん
ありがとうございます。
無事到着していろいろ話ができています。
恵まれております。
ありがたいです。