モウ2週間も前になるのですが、長男を連れて2回目の故郷の佐賀へ帰省をしてきました。
長男の1歳のお祝いを兼ねて、都合3泊4日の帰省です。前回が2泊3日で割りと慌ただしかったのですが、今回は1泊余計に過ごせました。なので、かなりのんびりした帰省になりました。
ただその中でも色んな出来事は凝縮されていました。
また30前後になってから帰省すると、1回で感じ取れる情報量がかなり増えたなぁと実感しました。
両親や家族、親戚と顔を合わせるのは何も変わらないのですが、そこから様々な事を感じ取られるようになりました。
それを少しまとめたいと思います。
- 地獄の首都高速を駆けるラシーン
- 長男の嗜好と襲いかかる病魔
- 記憶に残るは、何気ない会話
この流れで書きます。
地獄の首都高速を駆けるラシーン
金曜日の8時に出発。宇都宮近郊から羽田空港を目指します。
2時間と少しで到着するだろうと思っていたのですが、いやいやとんでもなかった。
浦和料金所以降、都心方面がめちゃめちゃ混んでるんですわ。
コレが噂に聞いた平日の首都高渋滞かと。
大型トラックに前後と右を挟まれて身動きが取れなくなったり、コレでもスマホのGoogleナビは「首都高を走れ」と指示するわけで、一般道には降りず。
「金払うだけ幾らかましなのね下道はどのくらいの地獄なのだろう…」
と絶望感に似た感覚を覚えました。湾岸線を走るのだろうと推定していたのが、次々にルートが変わり、皇居の横から羽田線を抜けて昭和島に降りるルートを選択。チャイルドシートに固定されていた長男もぐずりだし、泣き、叫び、大人も辛抱の限界が近づいていました。
最終的に羽田近郊の民間駐車場に到着したのは、出発から3時間以上経過したあと。流石にしんどかったです。体力的には問題ないですが、精神的に堪えました。
次回の帰省の改善策
次回は、茨城空港を利用してみようかと考えていました。
茨城空港までは、今の住まいから1時間半も見ておけば十分到着します。渋滞もないので楽です。
直接佐賀に帰られる便はないのですが、隣の福岡空港便があります。日本を代表するローコストキャリア・スカイマークにて茨城ー福岡便が就航されています。福岡空港から実家の佐賀まではざっくり車で1時間くらいで、レンタカーを借りて走るのであれば丁度いい距離。高速道路を走ってもよいし、山間の三瀬峠などを走り、そこからちょっとした観光や食事をしていても楽しい。
ただ最大の難点が、茨城空港の離陸時間が7時35分であるということ。。朝です。
少し余裕を見たとしても「朝5時」ぐらいには家を出ないといけません。これも正直しんどいな。。
なかなかうまくはいかないものです。(今年の9月までは出発時間が10時頃だったようです)
かみさんと話していたのが、東京は便利だよねいいよねと言う事。
何につけてもm東京って交通の便に関してはとても便利です。そもそも「東京から地方に出る」という前提で交通網が整備されているわけで、自分たちみたいな地方住まいの人間は、一旦羽田まで生き、羽田空港に降りてからまたショートトリップが始まるわけです。なんとも効率が悪いけれど、そういう仕組みになっちってる。
何したって東京って便利だよなぁ、と実体験を持って感じさせられました。
頑張ったラシーン
以前は遠出する時はスイフトを使っていました。あれの方が車体剛性も高く・軽く・燃費も良く・疲れにくいといいことづくめだったんですわ。ですが今年の5月からラシーン1台体制になりまして、初の東京上陸です。高速巡航と遠出に関してどのようなネガ要素が出るのかな、と心配していたところもありました。
ただ行ってみたら、全然できないことはないですね。ラシーンは優秀でした。
それなりにうるさいけれど、わりかし安定しているし、引っ張れば100km/hくらいまでは全然スピードが出る。回せば回すほど燃費が良くなり、11km/lを記録しました。結構飛ばしたので、80km/h位で巡航できればもっとよい燃費が出たかもしれません。
そりゃ2000cc超えクラスの車のほうが、安定しているだろうし疲労感も段違いだと思います。でも、走ってみたらそんなに身構えるほどでもありませんでした。あくまで僕にとってはね。
古い車ですが、まだまだ遠く出かけられそうです。
長男の嗜好と襲いかかる病魔
前回長男を飛行機に乗せたのは、生後5ヶ月の時。今回は1歳1ヶ月となりまして、半年ぶりに飛行機に乗ります。
自分が最初に飛行機に乗ったのは、詳しくは思い出せないのですが、おそらく小学校入学するかしないかぐらいの時だったと思います。福岡ー名古屋便でした。この子は0歳の時から乗っているわけで、そう考えると凄いなと思います。
1歳ともなると、いろんなことが見え・感じることができる様子が、見た目からでもかなりわかります。好奇心も旺盛で、色んな所に動き回ることが多くなりました。果たして飛行機の中でじっとしていられるのか、2時間弱のフライトをおとなしく過ごせるのか、というのが自分とかみさんの大きな心配事だったんです。
結果、長男は飛行機の中で大興奮でした。
キャビンアテンダントさんに。
今まで見たことがないような、キャッキャとはしゃぐ姿を見せていました。。
予約した座席が飛行機のかなり後ろのほう。長男は母親に抱かれて、通路側に座りました。
通路から後ろを振り返ると、トイレとキャビンアテンダント(CA)さんの控え室があります。そこから長男は、母親に抱きかかえられた状態のまま積極的に後ろを振り向いて、CAさんに目配せし、笑顔で手を振っていたんです。。
今回の羽田-佐賀便のCAさんは、いつもに増して若くて綺麗な人が多かったんです。そもそもプロフェッショナルで、
「親切にしますよ」「ようこそいらっしゃいませ」
というオーラをものすごく出すじゃないですか。CAさんって。
本能的に、
- 敵意がない
- 優しくしてくれる
- 自分に対して良くしてくれる
という感覚を感じ取るのでしょうか。それともこの歳にして美醜がわかるのか。好みがあるのか。
まぁよくわからないのですが、通路を行き来するCAさんの顔を一点集中でじっと見つめ、微笑みかけられると微笑や仕草でスマートに応対すると言う、純真無垢が故の上級コミュニケーション能力を見せていました。CAさんには、ムチムチして可愛い可愛いと評判でした。
出発の約2週間前から保育園に預け始めたのですが、それで保育士さんやお兄ちゃんお姉ちゃんたちと過ごす時間が増えたことも、彼の成長を促したのだろうと思います。
成長する姿をみれて嬉しかったです。
実家で姿を表した病魔
実家ではいろんな見たことがない人に囲まれて、ずーっと眉間にシワを寄せたような緊張した面持ちだった長男。
人見知りが出るのは発達の段階として正常なことのようなので、それはそれほど気にしてはいませんでした。ストレスになってはいないかなぁとは思っていましたが。
それよりも厄介だったのが、風邪を引いてしまったことですね。どうも通い始めて2週間の保育園疲れと、そこで風邪をもらってしまったようです。おそらく帰省の有無にかかわらず発病していたのだと思います。
初めての病気でした。喉がかなり腫れていて、咳止めのシロップを旅行後に1週間位飲んで、なんとか治りました。
発症する前ではわりかし元気に動いていたんですが、時折ゴーゴーという、「辛そうだなぁ」と感じるたぐいの咳をして、段々と体力が奪われていく様子が見え、泣くのも疲れてしまっていました。
実家に来てくれた妹と話していると、隣町に休日の子供診療があるとのことで、そこにお世話になって救われれました。看護師さんもベテランの方ばかりで、とても親切。1日分の薬を出してもらい、なんとか落ち着きました。
地方都市で、休日の診療は当番医だったりすることも多々あります。どこに駆け込んでいいかなんて、なかなか分かるものではありません。実家の町よりも、隣町のほうが医療が充実していて誰でも行けるなんて、正直ニッチ過ぎてネットじゃ検索できません。この辺の情報に関しては、生きた住む人の声が本当に役に立ちました。
命にかかわるレベルで。
記憶に残るは、何気ない会話
僕はこのBLOGやSNSで何度か書いたのですが、結構なおじいちゃん子です。
年子なので母親は妹の面倒、遅々は夜勤などが多く、いたりいなかったり。昔の記憶を呼び起こすと、そこにいるのはおじいちゃんとおばあちゃんです。
帰省という旅行においては、大小色んな目的やテーマ、やりたいことをジェンガのように積み上げて一個一個クリアしていくんですが、「今年・来年初頭に90歳になる祖父母に会いに行く」ということは、僕の帰省感に於いてとても大きなウェイトを締めています。
膝を突き合わせて色々話をするのも楽しいでのですが、個人的に心に残るのはおじいさんが昔話をした時ですね。頭がいい人なので、とても昔のことを覚えています。おじいちゃんあるあるで昔聞いた話を何度もしたりするんですが、たまに新しい話を聞けたりすると、それが面白くて面白くて。
帰省すると、そのアーカイブを少しでも引き出す事に、なにかこう夢中になっている自分がいます。
レンタカーの中で
レンタカーで借りたノートe-POWERの助手席におじいちゃんを乗せて、コンビニまでお金をおろしに行った時も
- 「あそこに25年位前まで勤めていた建設省関連の事務所が有った」
- 「この道路も、自分が地元選出の国会議員に陳情して整備してもらった」
- 「土建屋と揉めて大変だった。」
みたいな話をしてくれるんですね。穏やかな語り口なんですが、当事者ならではの思い出の「厚み」を感じられて聞き入っていました。まぁ田舎なのであら事も有ったようです。
あと文章では起こせないような、官民ズブズブの話とか。まぁそらそうだよね~w 昭和だよね~という。
それが良いとは思いませんが、そういうのがまかり通り時代だったんだなぁと思うし、人間関係の好き嫌いとか、落とし所を作る上手な方法の一つとかって形で、理解はできる。だからこそ今、昔を知っておかないと、正しい判断もできなくなるよねという感じもしました。
色々話が巡って築地市場問題の話にもなり、
「あんな一度収まった事を自分の手柄にしたくてほじくり返して、元通りになるもんか。どれだけの人が苦労したと思ってるんだ」
という話をしたんですね。おじいちゃんが。
多分同じ視座に自分が立てたとしても、見える・見ている光景の彩度というか精度みたいなものが、全く違うものになるんだろうと感じさせられました。
家の庭でも
実家の庭は昔からとてもきれいだったんですが、おじいちゃんがメインで手入れをしていてくれました。自分の帰省にあわせて、草むしりまでしてくれたみたいです。
ただ最近は足腰が弱くなり、脚立作業が難しくなったため、上の方は業者に頼むようにしたとか。
そこでも色々話をしてくれて、
- あの木はお前のお母さんが生まれた時に植えたんだ
- あれとあれは京都から運んで貰った木でとても珍しい
- この石は友達の土木工事業者が見つけたものを運んでくれた
- 裏庭のこの木は高山植物で、日が当たらないように植えている。知っている人が見たら珍しがるんだ
とか言う話をするんです。とても楽しそうに。実際庭を作った人ですからね。そりゃ思い入れも有りましょうで。
今まで何気なく見ていた庭、それも家が新しくなって20年近く経ってからも、とても新鮮に見えました。そんなエピソードが有ったのかぁと。庭に深みが増しました。一瞬で。
次回帰った時に庭を見たら、季節の違いでまた趣も違うでしょうし、また学びを与えてくれるだろうなぁと感じました。
最後にまとめ
もっともっと書きたいことが有りますが、このへんで終わりにします。
あと書き足すとしたら、長男のお祝いをしてくれた時、とても嬉しかったんです。近くで集まれる親戚が15人位来ていただいて、みんなニコニコしている。こんなに祝福される子供だったんだと、その時改めて気づきました。
そして自分がこの子を一生懸命育てていく、と皆の前で宣言したんですね。こういうコミットメントは本当に強烈でして(笑) 今もビリビリ僕の体に響いています。こういうお祝い儀式めいたことが、ずーっと長く続けられている理由がわかった気がします。実際の当事者になってみないとわからない事って本当に多い。
ホント学びが多い帰省になりました。
糧にして、今後も頑張っていきたいです。
以上です。
追伸:
11/19(日)のMORNING RIDE#10もよろしくお願いします!
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