バイクにおいて切っても切り離せないのが、交通事故に関する話題です。
先日も箱根ターンパイクで死亡事故が発生してしまいました。
バイクに乗らない方にとっては、バイクは危険だというメッセージになるでしょうし、自分のようなバイクを愛する人にとっては、色んな感情が湧き出てくる出来事だったと思います。
ケニー佐川さんも、Webike!で記事を書かれていました(当該コラム記事)
とあるBLOG記事の大反響
そんなおりに、有る記事がFacebook上で結構話題になっていました。
峠は攻め・・・ないっ!(https://ameblo.jp/kazu55z/entry-12310107829.html
記事の要旨をまとめると、
- 峠を攻めた等の自慢話はもう時代にそぐわない
- 天下の公道なので道を大事にしよう
- 安全マージンを持って走りましょう
- 今後もバイクに乗り続けられるように、お互い気を配ろう
という内容。自分も記事の意見には納得するところです。
ネット上ではいくらか燻りがあったものの、肯定的な意見が大半を占めていました。時代が変わったなぁと感じました。
自分がバイクに乗り始めた14年ほど前までは、
- 山走ってなんぼ。バイクは安全に飛ばしてなんぼ
- 上手い人に付いて行って、腕磨かないとだめだよ
- 下手なやつはバイク降りたほうがいい。危ないから
みたいなことを結構言われていたんですね。
僕がアメリカンバイクに乗り続けていたのは、今以上に「峠」を走るのが怖かった事。
そして「バイク=ハイスピードじゃなきゃ駄目」といった図式に対して、アンチテーゼ的な感覚を持っていた事。
それだけじゃないだろ、という別の価値観でバイクに向き合いたかったんだと、今振り返って感じています。
まぁ昔自分に「腕を磨け」と言われた人の気持は分からないでもないです。実際峠を飛ばせる人は、目の前の危険回避能力は高い傾向に有ることは間違いないでしょう。ただそれを公道で練習するのはどうかね、という話。
もちろん皆が皆同じ考えではないと思います。ただバイクの楽しみ方に対する感覚が、ココ数年でだいぶ変わってきたんだなぁ~~と、しみじみ感じさせる出来事でした。
若かりし頃の自分に会話をすることができるのであれば、「君と近しい感覚が広まる未来が来るぞ」という事をそっと話してあげたいです。
バイクに乗る上で最も大切なもの
ここで、
- 公道を飛ばす問題というか
- 他人に迷惑をかけるな問題というか
- ともすれば、バイクに乗ること自体に対して善悪を問うてしまう
そういった所々の問題に対して、自分なりの見解をまとめておきたいと思いました。
大前提として、正解はない
最初に結論を行ってしまえば、この手の問題は正解は無いと思います。
それぞれの感覚、環境、バイクに対しての向き合い方が各々千差万別だと思います。
似たような着地点になるかもしれないし、全く違う答えが導き出されるかもしれません。それはそれでいいと思うんです。出した答えが著しく自己中心的だったり、狭量なものでなければ、むしろ人それぞれのカラーが見れて面白いです。
それから一番つまらないのは、「止めてしまう」ということ。今回の場合は「バイクに乗らない」ということになりますね。
もちろん、環境や事情など様々な要因を考えた上で出た結論が、「やめる」であればそれは尊重すべきです。
自分がつまらないと感じるのは、最大公約数的な安全牌を選び続けて、続行することが不可能になったために「やめる」という逃げの姿勢。最近炎上など他者攻撃ネタに事欠かないためか、社会がシュリンクして安全に無難にという選択肢をとりがちなところがありますが、それは採用しちゃ駄目でしょうと感じるのです。
だって何も新しいことが生まれないもの。
こういった前提の元、自分の思考を整理していきたいと思います。
最も大事なことはマインド
自分がバイクに乗る上で、最も大事な要素。
それは、マインドを鍛えることだと思っています。心技体で言うところの「心」です。
バイクとの向き合い方を整理する、と言い換えてもいい。
技術や体力に多少不安が有ったとしても、心を鍛えていくことで、こと「安全にバイクを楽しむ」程度だったら十分カバーできる。むしろ、自分を知りバイクと向き合っていく心が弱いままだと、いくら技巧に優れていても事故のリスクは高まる。
このように感じてなりません。
謙虚かつ素直であること
まず、自身が謙虚かつ素直であることが大事。謙虚な気持ちでいること。気持ちを素直に受け止めること。
これが土台としてあります。
そもそもバイクに乗る時点で、大なり小なり他人に迷惑をかけます。うるさく感じる人もいるだろうし、ドライバーの中でバイクが後ろに付いたら怖いと感じる人もいるでしょう。集団で走ったら威圧感を受ける人もいる。家族をほったらかしかもしれない。
そういった側面が、必然的に有ります。
それを「知った事か」と突っぱねるのではなく、まずは事実として謙虚に受領する。そういう心の広さが必要です。
また、バイクに乗っていて面白い!楽しい!と感じたら、それを素直に受け止めるのも大事です。みんなで隊列を組んでツーリングするのは、一人では味わえない高揚感が有ります。
他にも、スピードにのって高速コーナーを駆け抜けてバイクを押さえ込んでいる時。またタイトコーナーの直前でいい具合にブレーキングが決まり、スムーズにコーナーに入り、スロットルを大きく開けて直線へ脱出する時。こういったときには、気分が高揚して楽しくなってきます。
その感情は素直に受け止める。こんなことしてていいのかな?などは、ひとまず 考 え な い 。素直に湧き出た感情を受け止める事に努めます。スピードの魔力とか、危険性とかもそう。感じたことは一度受け止めます。
陰と陽を受け入れること
なんかさっきの話では、
「真逆のことを言っているんじゃない??」
と思われた方もいらっしゃると思います。
自分が言いたいのは、物事にはいい面と悪い面が表裏一体で存在するということ。
いわば、陰と陽です。
片方を見るだけでは不十分。両方を正しく捉えることで、ようやくその全貌が見えてきます。
「正しく」と言っても、まぁ難しいですよね。人間の感覚は、主観が入るわけなので、どうしても偏りは生じます。それは仕方がないこと。我々はデジタルなロボットじゃない。
なので、できるだけ色んな切り口で物事を見つめ、良い悪いをたくさん捉えるようにします。
例えば陰:悪い面だったら、
- 事故の危険性
- 生身の体
- 周りを巻き込む
- うるさい
- 迷惑
- スピードの出しすぎ
- 自動車を運転していて邪魔
- 排気ガスを出す
逆に陽:良い面だったら、
- 格好いい
- 乗っていて楽しい
- 車より身軽
- 爽快感が有る
- すり抜けを駆使して速く目的地につける
- 同じバイク仲間とのつながりができる
- 眺めて楽しい
- 改造して楽しい
こんな感じで色んな切り口で見つめることが出来ます。コレを一旦バーっと洗い出す。
ココで大事なのは、自分からバイクを見た視点と、他者からバイクを見た視点の、両方を列挙すること。他者からは想像になってしまうことも多く、正しい意見ではないかもしれないけれど、想定されることを上げていきます(他人に意見を聞く一番良いですが)。
この視点の場所を増やすことを、「視座を増やす」と言います。視座を増やすことで、「バイク」という事柄を立体的に捉えるようになり、バイクの陰陽が明確になってきます。
好き嫌いは有っていいです。それはあって当然だと思います。
色んな意見が有るであろう中で、それぞれを理解すること。共感はしなくていいので、一度理解する。
「なるほど、こういう考えもあるのか」
それに対して好き嫌いはあるでしょうが、それぞれの視座を一旦理解することで、自分の考えが広がっていきます。
この思考整理作業は、正直大変です。本質を見極めて行く大事な作業なので、じっくりと時間を掛けて、色んな人と話したりしながら、粘り強く進めていきます。
煮詰まったら他の人と話をすると、本当に良い発見があります。ぜんぜん違う話題でもいいので、色々話をしていると、無意識的に悩んでいる話題とつながってひらめきが有ったりします。
陰陽を咀嚼し、止揚する
さて、上記の作業を経ることで、バイクに対する実像がだんだんと明確に見えて来ると思います。
そうしたら、バイクの陰と陽を融合させていきます。そしてバイクのありたき姿というか、理想の状態を明確にイメージしていくんです。
この融合の過程で注意しておくべき、とても大事な事があります。
それは「妥協案」を導き出す事が目的じゃないという事。
やることは、悪い面を受けて良い面を潰したり、我慢したりして、折り合いをつけるという行為ではありません。良い面と悪い面の両方を事実として受け入れて、その両方を満足する解決策を考えるんです。
悪い面を消化しつつ、いい面はより伸ばして強くすること。否定を発展の契機と考え、否定されることをクリアすることで良い面も同時に伸ばしていく。否定を否定して「肯定」に転換する。
この思考プロセスを「止揚(しよう)」と言います。哲学の用語です。ドイツ語ではアウフヘーベンといい、こちらの言葉を使う事も多いです。
たとえば、「バイクはうるさい」という陰の部分について。
これは、マフラーを車検対応のものにしたり、しっかりとバッフルを入れたりする。住宅地の近くでは回転数を挙げないように努め、元気良く走るのは人里離れた郊外へ。あとは走る時間帯を朝にずらすとかですね。
こうすることで、走りにメリハリが付いたり、車が少ない時間帯で走ることでストレスが減ったりする相乗効果も考えられます。また車検対応マフラー、もしくは純正マフラーは、静かで重いですがトルクの出方が素直で、結果的に走りやすかったりもします。
こうした思考の転換で、課題を解決しつつ良い面も高めていく。
コレが止揚の考え方の一例です。
結果的に妥協案的なもの、それに近しいものが生まれたとしてもOKなのですが、大事なのはプロセス。最初から妥協ではなく、一度真剣にどうするか考える事が、すごく大事だと感じています。
自分の止揚
実際自分も、親からバイクに乗ることは結構色々言われたりしました。
あと事故も起こして、どうバイクに向き合っていこうと深く悩んだりしたこともあります。子供も生まれて、時間や金銭的な負担も増えてきました。
それでも今楽しくバイクと共に生活できているのは、批判や否定を素直に受け入れて、改善策を考えるというプロセスを考えてきたからだと思います。
今のバイクに対する向き合い方は、以下のような感じです。
- 家族との時間を大事にして、関係性を崩さないこと
- 安全第一に走り、無事に帰ること
- 住宅地では静かにする
- バイクのジャンルに拘らない。ただ和製アメリカンが一番好き
- 峠道を走ることにさほどこだわっていない
- でも、高回転でエンジンを回し続けるとアドレナリンが出る
- スピードを出すのは楽しい、それは間違いない。
- でもその気持を発揮していい場所は見極める
- イベントをやる時は、自分が楽しむよりも、むしろみんなが楽しんでいる方が嬉しい
こういった感覚でバイクと向きあっています。コレが一番自分に素直で、楽です。
まだ完璧ではないと思うし、もやもやしている事も有る。それに環境や状況が変わったりしたら、柔軟に考えを変えていく必要もあるでしょう。
ただしばらくは、上記の感覚をベースに行動していけは、首の骨を折るような失敗は少ないかなあと感じるのです。
まとめ
こういった思考トレーニングみたいなことって、ビジネスの場や好きな人の中では鉄板だったりするんですが、バイクというカテゴリで話している人ってあまりいないので記事にしてみました。
今回述べた結論も簡単には見つからなかったし、一回コレだと思ったけど違うこともたくさんありました。色々脇道にそれた事が、回り回って今を生きる自分の材料になっているんだなぁと感じたことも多いです。
例えばサーキットを走った経験も糧になったし、ロングツーリングやショートツー、キャンプ、旅先での料理。しばらくバイクに乗らないと選択した経験。全てが自分にとって大事なことを見つけるための材料になりました。
特に自分がお伝えしたいのは、止揚の概念と、理解と共感は違うということ。
この2つが広まっていけば、無用な罵り合いとか、周囲とのバランスを欠いた言動・行動が減って来ると思います。
バイクに乗っているというみんながよりよい場として活動できるのかなぁと考えています。
以上です。
コメントを残す