
先日、旧車の城に遊びに行ったという話をしましたが、
その際にオーナーの斎藤さんと、色々お話をしておりました。
その中で特に記憶に残っているのが、
部品はどうされているんですか?
という、私の質問に対しての答えです。
自分が乗っているZ400LTDのような70年代80年台の車両ならいざしらず、
1930年代、20年台といった戦前のマシンなどの、部品はどうされているのか。
BMWやハーレーのように潤沢な部品供給がされているものばかりではなく、会社自体がなくなってしまった車両もたくさんあります。
そういう車両に対してはどのようなケア、対処をされているのか。
とても気になっていたんです。
単純明快な答え
斎藤さんの答えは極めて単純なものでした。
「皆さんから出る質問なんですけれど…」
と前置きされた後、
- 手をつくして探す
- 見つからなければ他車種から流用する
- それでもなければ「作る」
この3ステップであるとお答えいただけました。
話を聞いて、やっぱりそうなのかと強く納得しました。
「それ以外に対処方法、選択肢はない」
言われてみればあたりまえのことなのですが、戦前・戦後の英車・イタリア車・ドイツ車、国産車両も多数保有して、それを自らの手で修理し、また常に他の方からも整備などをお願いされている齋藤さんの言葉には、ものすごい重みを感じたのでした。
そして、この3つステップで欠品対策を考えていればいいんだな、という風に頭を切り替えることができ、とても頭がすっきりしました。
知識☓技術☓人脈☓熱

斎藤さんはバイクを色々紹介していただいている間も、
- 「この配線がぼろぼろで、引き直すのが大変でした。」
- 「●●と☓☓のギアが共通なので、取り替えて動かしたんです」
- 「このスプリングは折れてしまっていたから、ステンレスで作りなおしたものです」
というトークが、ごくごくあたりまえのように飛び出してくるんですね。
その裏打ちに有るのが、
圧倒的な知識と、それを具現化する技術、そして作業をサポートしてくれている人脈の存在だと感じました。
それから圧倒的な熱量・情熱ですね。
いくら技術や知識があったとしても、エネルギーが湧いてこないことには、何もなりません。
自分のような素人に毛の生えたレベルの人間の場合、日々知識と技術を積み上げて、色んな人と仲良くなってネットワークを広げていく事。
コレこそが「自分なりにバイクを楽しんでいく」という、やり方の一つだろうなと感じることができました。
まとめ
とても勉強になり、より一層努力していこうと言う気持ちになりました。
斎藤さんありがとうございました。
以上です。
何事も当たり前の事を当たり前にするってのが成功の秘訣かと…
それが難しいのも真実ですし(^-^;
勉強になりました(^-^)
>たかさん
コメントありがとうございます。
もっと上手くやれるんじゃないか、もっと楽な方法があるんじゃないか?
とか考えてしまうのですが、仰るとおり「アタリマエのことを当たり前にやる」のが難しいから、そう逃げてしまうのかなぁと思った次第です。