「暴走族のバイクの前輪についている、あのポールは何なのだろう?」
目立ちたがりやの人たちがつけるものだから、誰かがつけたを真似しているわけなんでしょうが、何かしらルーツがあるはず。
以前からそう思っていました。
もう3~4年くらい前、それについてのお話を聞いたことがあって、今回ふっと思い出したので文章でまとめたいと思います。
ルーツはプレスライダー
そもそも暴走族にも歴史があって、スタートは1960~70年代に遡るようです。
「カミナリ族」と呼ばれたバイクのスピードに魅せられた当時の若者が、CB750やらマッハ・Zなどで突っ走っていた時代。
当時は今のようにメールはおろかファックスもなく、画像データの移動は、カメラのネガフィルムを直接運搬する以外に方法がありませんでした。
そこで活躍したのがプレスライダー、今風に言えば、新聞社お抱えのバイク便です。
羽田空港に到着した飛行機から、海外支局が送ってきたフィルムを受け取ると、バイクに乗って猛スピードで空港道路を突っ走ります。
一刻を争う報道の仕事。空港道路を制限速度を無視して突っ走るプレスバイクですが、警察は見て見ぬふり。ある意味警察公認の「速度無制限ライダー」だったんですね。
毎日の仕事がタイムアタック。実際ライディングテクニックも凄かったようで、若い兄ちゃんたちは一目置いていたみたいです。
超絶的なライディングと、国家権力も目をつぶる圧倒的スピード。ある種の憧れを抱く職業になるのは、容易に想像できます。
そのバイクにはサイドカバーに新聞社の名前が書かれ、そしてフロントフェンダーステーの根元から旗竿が立ち、小さな社旗がはためいていたのです。
それを若者が真似して、ポールを立てた。これがルーツのようのです。
今のスタイルへの流れ
そして、ある新聞社の旗竿には、旭日旗に似たデザインの小旗がはためいていた。
それに触発された若人が、タンクにもサイドカバーにもペイント。これが今に続くスタイルの基礎になったようです。
左寄りの新聞社の社章を、右寄りな人達があこがれる。
何とも皮肉なもんだと思います。
またプレスバイクは、渋滞した道路でいち速くすり抜けをするため、ハンドルは絞られていました。
当然これもまねします。「絞りハンドル」の原点です。
そして
- 60年代から70年代にかけて流行したレーサーバイクのフェアリング。
- キャプテンアメリカ号に代表される、亜米利加のチョッパー文化から段付きシートを。
- 70年代のサイケデリックアートの配色。
これらが融合し、そして日本独自のドメスティックな進化を遂げて、いわゆる暴走族スタイルが出来上がったのだと思います。
まとめ
まぁこうして書いてみると、どんなジャンルでも定番になっているものは、それなりにバックボーンがあるんだなと思いました。
最初は文字通り公道でスピード重視で速さを競うようなスタイルだったのが、だんだん集団走行による迷惑行為にシフトしていったのが、面白くもあり不思議な点でもありますね。どちらも推奨はしませんが。
小さな事柄でも、ルーツを調べていくといろいろと面白い事実が見えてきます。
以上です。
1957年、俺はTV局にプレスライダーとして入社した。
追い込み(事件)で飛び回ってた。