復旧作業から帰ってきました

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■宮城の工場への災害復旧支援ですが、 ちょうど一週間で終了して本日帰ってきました。 Twitterなどで沢山の方からメッセージを頂き、大変ありがとうございました。 とても力になりました。

 

—作業の内容など—

■自分は支援先で、設備の「配電盤の清掃」を担当しました。

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津波によって、工場内の設備が腰の高さまで浸水してしまい、配電BOX内のリレーや端子台・基板類はサビサビ状態でした。

本来は即全交換になると思うのですが、『とりあえず起動確認だけ行いたい』というのが支援先の意向だったので、応急処置として汚れと錆を落とすことになりました。

 

サビ落とし前.jpg  

サビ落とし後.jpg 泥と塩とで真っ赤に錆びたネジやY字端子・リレーなどを、真鍮ブラシやパーツクリーナーを駆使してどんどん磨いていきました。なんかこれって、日頃趣味でやっている作業と大して変わらないような…。

非常に作業がしにくかったので、配線を一旦メモって端子を全部外し、一個一個手作業で洗浄。10個や20個なら何とかなりますが、工業用機械の内部には300個以上の端子がザラにあり、それを全部手作業で対応するのは正直骨が折れました。 ただ1週間ずーっとドブさらいをやっていたチームもいたので、それを思えば…ね。 1週間という短い期間だったんですが、 支援先の力になれたのであればそれが一番の喜びです。 少しでも早い復興を祈っています。

 

—被災地の様子—

■国道4号線等を走っていると、屋根にブルーシートをかぶせてあったり、路面が波打っている箇所がたくさんありました。しかし店舗も割と営業していて、徐々に町が動き出している様子が見て取れました。 しかし仙台東部有料道路から東側、つまり沿岸部に関しては、生々しい爪痕が依然として残っていました。

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ここは仙台空港に至る道で、震災前は綺麗に整備された道でした。

自分も何度か走ったことがあります。 今回通った際は、路肩に瓦礫の山が積まれて悲惨な状態になっていました。 なお、週間前に復興支援 第一陣が到着した際は、路上に車や土砂・瓦礫が散乱していて車両が殆ど通行できない状態だったそうです。自分が行ったときは4車線が確保され、ダンプカーがひっきりなしに走っていました。

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土砂が橋に引っかかって残っていました。 隣の工場の塀に津波の跡があり、そこから推定すると、写真の水面から さらに3mくらい 少なくとも5mくらい上まで水が来たと思われます。

セレナ.jpg プリメーラ.jpg

車が見るも無残な姿になっていました。 特に天井がめくれ上がっているプリメーラに言葉を失いました。

どういう力がかかったらこんな壊れ方をするんでしょうか?

 

瓦礫の山.jpg 航空機.jpg

おびただしい瓦礫の量です。押し寄せた津波が引いた際に流れてきたんだと思います。

近くに航空大学校があり、その練習機と思しきプロペラ機が流れ着いていました。 なんとGoogle Mapでは、この様子がもう反映されています。 本当にびっくりしました。


大きな地図で見る   

今回の震災において、ネットインフラ系の動きが本当に早かったのが印象的でした。   

Google Mapの高速反映や、災害情報まとめ計画停電情報。   

Twitterやmixi、Skypeといったツールも、安否確認や情報収集に非常に役立ちました。

 

—今回思ったこと—

C360_2011-04-05 12-30-24.jpg ■津波のエネルギーは、その爪あとからも十分推し量ることができました。

土砂と瓦礫が至る所に飛び散っていて、それらが復興を遅らせています。“今回は揺れそのものよりも津波でやられた”という言葉の意味を、まざまざと感じることになりました。

また、結婚式の写真が収められたファイルが道端に落ちていて、 どこかに届けようかとも思ったのですが、思案したものの結局どうすることも出来ず やるせない気持ちにもなりました。 東北地方は、継続的な支援を必要としています。 それぞれの環境に軸を置きながらも、被災地への支援を”続ける”必要があると思いました。

 

支援の形は人それぞれで、 無理のないスタイルで行うことが肝要だと思います。 自分も微力ですが、出来ることを続けて行きます。

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